京都の出版社の編集室と営業部からお届けします。
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写真集 越中おわら風の盆
越中おわら風の盆の季節です。 写真集 越中おわら風の盆 新保隆久 A5変型 111ページ 2,625円(税込) 2009年9月刊 300年以上の歴史を守り、素朴ななかに気品を漂わせるおわら風の盆に、河岸段丘の上に長々と横たわる坂の町は三日三晩、唄と踊りに酔いしれます。 二百十日の風さえ 吹かにゃ 早稲の米喰て オワラ 踊ります (本書より) 健康で安全に働くための基礎
2010年10月8日付赤旗新聞の書評欄に、細川汀編著『健康で安全に働くための基礎』が紹介されました。 健康で安全に働くための基礎 ディーセント・ワークの実現のために 細川 汀編著 ISBN978-4-89259-623-0 A5判並製 定価1,680円(税込) 2010年5月刊 健康で安全に働くための基礎
健康で安全に働くための基礎 ディーセント・ワークの実現のために 細川 汀編著 A5判並製 定価1,680円(税込) ISBN978-4-89259-623-0 2010年5月刊 伊東輝義先生(化学一般京滋地本・安全衛生対策部)による本書の推薦文を紹介いたします。 細川先生は1969年の『現代合理化と労働医学』(労働経済社)で、わが国の企業と学校における教育の必要性をとりあげられた。1994年に、子どもたちや先生・父母に向けて『これから働く君たちに・健康で安全に働く』(文理閣)を出版されたとき、子どもたちに労働や安全に健康に働く知識や権利が教えられていないこと、学校での労働安全衛生についての取り組みの遅れがあることを伺った。 中学や高校だけではないことは、2000年、東大大学院の工学系研究科・畑山洋太郎教授が、学生がフッ酸(フッ化水素酸)を素手で触って、指を切り落とすか、指先の爪の間から注射を続けるかの二者択一を迫られる負傷をした例をあげ、「工学者の卵たちがそろっている大学は、無知を背景とする事故が起こりやすい」と指摘し、実験中の事故が多い工学部での安全教育の大切さをとりあげている。 侵入者に殺傷される事件から8年経た2009年6月、大阪教育大学付属小学校で、身の回りの危険などについて学ぶ「安全」の授業を文部科学相が特例科目として認め、全学年で始めたという報道を、全国の学校で実施すべきではないかと思いながら見た。 私の職場では、20MPaの水素圧力や300℃の条件で危険・有害な化学物質を反応させる。安全操業のためには、単に「操作できる」ことと「操作の意味を知って操作できる」ことは、力量という点ではまったくちがう。 安全や健康も、基礎的なことを理解することが、力量を高めるうえで欠かせない。 化学一般京滋地本では、約50名が参加する今年で29回を数える安全衛生一泊学校を開催しているが、半数は初めて参加する若い組合員である。必ず、初めて安全衛生を担当する方のための分科会を設け、初歩的な安全衛生の重要性や法律、権利・義務の話をしているが、感想は「初めて知った」というものが多い。約40年前に先生が指摘された、安全に健康に働くための学校教育の課題は、今も多いと実感させられている。 一泊学校30回を機に、安全衛生対策部で初心者向けのテキストを作成しようと決めたタイミングで、『健康で安全に働くための基礎』が出版された。 大事な欠かせないテーマを、分かり易くまとめられている内容を見て、手抜きする訳ではないが、化学一般の若い組合員のために、この本をテキストに出来ないか検討しようと思っている。 文理閣2010年8月の新刊情報
乳児期および幼児期の「交流」の形成と発達の研究 荒木美知子 著 A5判上製 定価4,725円(税込) ISBN978-4-89259-630-8 ソビエトの児童心理学者リシナの「交流」研究をふまえ、著者の育児記録の分析から、発達における他者との「交流」の意義を探る。 キューバ史研究 先住民社会から社会主義社会まで 神代 修著 A5判上製 定価2,730円(税込) ISBN978-4-89259-638-4 コロンブスの発見から植民、独立、奴隷解放を経て、キューバ革命まで、500年に及ぶ楽園の歴史がいま明かされる。わが国初の本格的キューバ史。 夏期休業のご案内
残暑お見舞い申し上げます。 下記のとおり夏期休業とさせていただきます。 2010年13日(金)〜16日(月) 健康で安全に働くための基礎
健康で安全に働くための基礎 ディーセント・ワークの実現のために 細川 汀編著 A5判並製 定価1,680円(税込) ISBN978-4-89259-623-0 2010年5月刊 福地保馬先生(働くもののいのちと健康をまもる全国センター・ 細川汀編著『健康で安全に働くための基礎』 労働の困難さ、非人間的な側面ばかりが目立つ現在、若者に、「 この本は、このような若者に、「労働は、人間性をはぐくむ、 「健康で安全に働く」ことは、 そして、「いま、職場では、成果主義管理の下で、 健康で安全な労働や、書名の副題にもなっている「ディーセント・ 歴史と人生、労働の意義、人間の心理と生理、社会と経済、 原爆を見た聞こえない人々
原爆を見た聞こえない人々 長崎からの手話証言 長崎県ろうあ福祉協会・全国手話通訳問題研究会長崎支部編 四六判並製 1,680円(税込) ISBN978-4-237-9 1995年3月刊 佐瀬駿介先生が、2003年2月15日付全国手話通訳問題研究会長崎支部機関紙(2010年8月9日一部訂正)に掲載された文を紹介いたします。 ※佐瀬駿介先生:京都ろうあセンター専任手話通訳、宇治市専任手話通訳を経て京都府立山城高校聴覚障害教育担当その後、他の府立高校教諭となり退職。その間 全国手話通訳問題研究会編集局長となり、「手話通訳問題研究誌」の編集など多数の出版・編集等に携わる。 「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣)の勇気ある証言を残さなくて何が残る
1994年12月末に長崎を訪れたと記憶している。
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ドンが聞こえなかった人々
今日8月9日は、被爆から65年目の「長崎原爆の日」です。 写真集 ドンが聞こえなかった人々 豆塚 猛 B5判上製 定価2,940円(税込) ISBN978-4-89259-170-9 1991年5月刊 弊社代表黒川美富子著『遠い声 近い声』(文理閣 2000年刊)より、「ドンが聞こえなかった人々」を掲載いたします。
ドンが聞こえなかった人々 1945年8月6日、 午前8時15分、 広島上空580メートル、 原子爆弾 (リトルボーイ) が炸裂した。 6000度もの高熱が一瞬にして多くの人々の命を奪い、 炎が町を地獄にした。 すでに、 日本の降伏が時間の問題となっていたにもかかわらず、 アメリカはさらに3日後の9日、 長崎にも原爆 (ファットマン) を投下した。 そして54年後の今もなお、 広島や長崎で被爆した人々や家族の、 苦しみの人生は続いている。 聞こえない被爆者の人生はどうだったのか。 聞こえない人々は原爆をどう体験したのか。 広島と長崎の手話仲間たちが、 この人々の 「聞き書き」 に取り組んだ。 原爆投下から45年たっていた。 長崎での取り組みを、 私は2冊の本として出版させていただいた。 京都在住のカメラマン、 豆塚猛さんの写真集 『ドンが聞こえなかった人々』 と、 証言集 『原爆を見た聞こえない人々』 である。
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山・川・海の環境社会学
2010年8月2日付日本農業新聞の書評欄に、大野晃著『山・川・海の環境社会学』が紹介されました。 山・川・海の環境社会学 地球環境にみる人間と自然 大野 晃 著 A5判上製 定価3,780円(税込) ISBN978-4-89259-609-4 2010年4月刊 手が語るヒロシマ〈沈黙のヒロシマ〉
1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に原子爆弾を投下した。 沈黙のヒロシマ SILENT HIROSHIMA 仲川文江:聞き書き 尾崎孝:写真 Akemi WEGMÜLLER:英訳 B5判上製 定価3,360円(税込) ISBN978-4-89259-553-0 2007年8月刊 手が語るヒロシマ:黒川美富子 (京都新聞「現代のことば」2006年8月1日付より転載) 「出版屋さんですか。一つ当たると大きいからなあ」、ときおりそう言われる。私は、当たる本というのは、大手・中堅出版が、当てることを目指した、企画と作戦で成功しているのではないかと、長年の経験で考える。 こんな本こそと、熱い思いで出版しても当たったことがない。そればかりか、ときには採算的に難しい本も手がけてきた。それでも、こうして続いているのは、書き手と読者が応援してくれるからだ。 こんな本がある。 長崎のろう者たちの聞き書き『原爆を見た聞こえない人々』と、豆塚猛氏の写真集『ドンが聞こえなかった人々』である。 長崎のろうあ者の聞きとりがはじまったのは、被爆後四十五年後のことだった。彼らは誰にも、その体験を聞かれたことがなかった。四十五年間、心に封印されていた記憶は鮮明だった。「手よ語れ、もっと語れ」の、熱いサインに応えて、手話が、全身の身振りが、原爆を再現した。聞き手たちは「まるで疑似体験しているようだった」と語る。 長崎の記録を出版して十五年がたつ。ずっと、気がかりだったのは、ヒロシマのろうあ者の体験が出版できてないことだった。さきごろ、ヒロシマから連絡がきた。 今、手もとに聞きとり原稿と、同時進行で撮影した写真が届いて、編集作業に入っている。 語り手の多くが、当時、ろう学校小学部の子どもだった。すでに七十歳前後になっている。その人々の記憶もまた鮮烈だ。 一九四五年八月六日。 朝食のちゃぶ台を囲む家族、犬とたわむれる少年、柱にもたれて一人留守番する少女。 戦時下とはいえ、それぞれの市民の朝があった。 「駄菓子屋のシロ(犬)と遊んでいた」。そこまで話した高夫勝巳さんは、突然、駐輪場の壁に跳びつき、顔を押しつけて、しばらく動かなかった。音もなく、光もなく、一瞬に十メートルも吹き飛ばされた模様を、全身で表現したのだ。 真っ暗な中で、われに帰ったとき、身体はまだ張りつけ状態のままだった。 そして、黒い雨が降った……。 音はなくても、あの惨状は伝えられる。正に沈黙のヒロシマだ。 森岡正勝さんは、爆心地から二・五キロメートルほど離れた自宅で被爆した。「一瞬光った。闇になった。屋根瓦が落ち、土煙でなにも見えん。落ちてきた瓦が熱いっ」。どうしたのかと見上げた空に、一筋の雲が…。右に、左にこぶをつくりながら高く昇り、巨大なきのこ雲になるのを目撃した。 その光景が十八枚の連続写真となって、まるでアニメーションのコマ送りのように、克明に再現されている。一枚として、同じ手話(身振りも)はなく、同じ表情はない。恐怖と驚きの顔。両手でかばうように目をおおい、うずくまる姿。 語り手たちが、手話であるゆえ、写真は見事に原爆を見せている。 彼らは、今も、一つの位牌を大切に守っている。そこには、被爆死したろうあ仲間、十六人の名前が記されている。この位牌を抱いて、毎年、平和記念式典に参加してきた。 まもなく六十一回目の八月六日がくる。人類は、まだ「核」のない平和にたどりつけない。 ※カテゴリー〈現代のことば〉は、文理閣代表黒川美富子が2006年に京都新聞に連載した文章を転載いたします。 |