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手が語るヒロシマ〈沈黙のヒロシマ〉
1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に原子爆弾を投下した。

 沈黙のヒロシマ
沈黙のヒロシマ
SILENT HIROSHIMA
仲川文江:聞き書き 尾崎孝:写真 Akemi WEGMÜLLER:英訳
B5判上製 定価3,360円(税込)
ISBN978-4-89259-553-0
2007年8月刊

手が語るヒロシマ:黒川美富子
(京都新聞「現代のことば」2006年8月1日付より転載)

 「出版屋さんですか。一つ当たると大きいからなあ」、ときおりそう言われる。私は、当たる本というのは、大手・中堅出版が、当てることを目指した、企画と作戦で成功しているのではないかと、長年の経験で考える。
 こんな本こそと、熱い思いで出版しても当たったことがない。そればかりか、ときには採算的に難しい本も手がけてきた。それでも、こうして続いているのは、書き手と読者が応援してくれるからだ。
 こんな本がある。
 長崎のろう者たちの聞き書き『原爆を見た聞こえない人々』と、豆塚猛氏の写真集『ドンが聞こえなかった人々』である。
 長崎のろうあ者の聞きとりがはじまったのは、被爆後四十五年後のことだった。彼らは誰にも、その体験を聞かれたことがなかった。四十五年間、心に封印されていた記憶は鮮明だった。「手よ語れ、もっと語れ」の、熱いサインに応えて、手話が、全身の身振りが、原爆を再現した。聞き手たちは「まるで疑似体験しているようだった」と語る。
 長崎の記録を出版して十五年がたつ。ずっと、気がかりだったのは、ヒロシマのろうあ者の体験が出版できてないことだった。さきごろ、ヒロシマから連絡がきた。
 今、手もとに聞きとり原稿と、同時進行で撮影した写真が届いて、編集作業に入っている。
 語り手の多くが、当時、ろう学校小学部の子どもだった。すでに七十歳前後になっている。その人々の記憶もまた鮮烈だ。
 一九四五年八月六日。
 朝食のちゃぶ台を囲む家族、犬とたわむれる少年、柱にもたれて一人留守番する少女。
戦時下とはいえ、それぞれの市民の朝があった。
 「駄菓子屋のシロ(犬)と遊んでいた」。そこまで話した高夫勝巳さんは、突然、駐輪場の壁に跳びつき、顔を押しつけて、しばらく動かなかった。音もなく、光もなく、一瞬に十メートルも吹き飛ばされた模様を、全身で表現したのだ。
 真っ暗な中で、われに帰ったとき、身体はまだ張りつけ状態のままだった。
 そして、黒い雨が降った……。
 音はなくても、あの惨状は伝えられる。正に沈黙のヒロシマだ。
 森岡正勝さんは、爆心地から二・五キロメートルほど離れた自宅で被爆した。「一瞬光った。闇になった。屋根瓦が落ち、土煙でなにも見えん。落ちてきた瓦が熱いっ」。どうしたのかと見上げた空に、一筋の雲が…。右に、左にこぶをつくりながら高く昇り、巨大なきのこ雲になるのを目撃した。
 その光景が十八枚の連続写真となって、まるでアニメーションのコマ送りのように、克明に再現されている。一枚として、同じ手話(身振りも)はなく、同じ表情はない。恐怖と驚きの顔。両手でかばうように目をおおい、うずくまる姿。
 語り手たちが、手話であるゆえ、写真は見事に原爆を見せている。
 彼らは、今も、一つの位牌を大切に守っている。そこには、被爆死したろうあ仲間、十六人の名前が記されている。この位牌を抱いて、毎年、平和記念式典に参加してきた。
 まもなく六十一回目の八月六日がくる。人類は、まだ「核」のない平和にたどりつけない。

※カテゴリー〈現代のことば〉は、文理閣代表黒川美富子が2006年に京都新聞に連載した文章を転載いたします。
2010.08.02 Monday 10:33
現代のことば -
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